自二車限定解除
MAJPの今では笑っていえる話-大型二輪免許って、今では教習所で取るのが一般的なんだけど、少し前までは「飛び込み一発」...試験場でしか取れませんでした。


MAJPの不合格な日々/1984年頃の門真試験場にて



4  大阪では予備審査(事前審査)
  
ここで、事前審査(大阪では予備審査と言っていた。したがって、大型二輪一回目は「予備二輪」の予約をしないといけなかった。技能試験の窓口には小型二輪、中型二輪、大型二輪、予備二輪それぞれの集合日時が書いた紙が張られていたが、「予備二輪」については試験を受けない限り何のことかわからないのであった)について触れていこう。 車種はスズキのGT750...アカレンジャーがのっていたやつだ。ところがこいつ今の試験車輌と違ってやたらでかいバンパーをつけていてさらに、センタースタンドの踏み込む部分の形状が踏み込みにくい上に(この辺も昔のバイクだから仕方がないか)なんと、タンクは「水」を満タンに入れていた。バイクが倒れたとき、キャップから水がこぼれていたのを見てしまった。少しでも重量を稼いで受験者に負担を掛けようとする姿勢が見え見えである。8の字押し歩き、引き起こし、センタースタンド掛けをクリアーすれば合格だが、最初の受験者が準備してる際に試験官が「コレで腰を悪くしたやつがおるから気ぃーつけやー」と吐き捨てるように行ったことを覚えている。ちなみに合格しても不合格であっても、試験官は「次!」としか言わない。まぁー合格の場合は「次の人」という意味で、落ちたら「次の回に来い!」という意味らしい。どっちの場合であっても面倒臭そうに受験者に言っていた。 全てが終わると、本試験の説明がある。1,700円の証紙(1984年当時の料金)を、申請書に貼って窓口に行くように言われる。当日の午後からの受験も可能。 ちょうどその時、午前中に技能試験を受けた人が、車庫に試験車を入れていた。 試験官が言った「あいつ合格したんやで、君らの内から何人でるんやろなー。」...今では考えられないけど当時は合格すれば車庫入れをやらされるのだった。 余談だがこれに合格すると次回からは免除される。他の試験場と違って、半年で無効になることはなかった。なにしろ、3年間使いまわしても再試験の受付ではそのまま通用したからだ。(実証済み、めっちゃ情けない。だが現在は不明、真似しない方がいいと思う...今どき誰がするか!!)    
[参考]えるざのあくびWebサイトの管理人のバス★氏のご協力により当時の大型二輪予備審査合格通知書を再現することができました。お忙しい最中、本当に有難うございました。
このページにUPしている大型二輪予備審査合格通知書は、再現(いわゆるレプリカ)ですので誤りがあるかもしれません。
再発行はしないという一言が凄い。
"x"の部分は数字が入る。(合格した日付を忘れてしまった...。)
裏面...再申請した日の日付印が押される。ここに何もない人は、1回で合格したか、1回で諦めたかのいずれかである。
光明池の場合〜’95年の時点では、同様の形式で交付されている。ただし、多少文言が異なる。(現在は不明、門真と同様の方式に変わっている?)

現在の試験(門真)では、事前審査に合格してもこのような通知書は発行されません。(光明池も同様?)
参考web link:えるざのあくびWebサイト内限定解除
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